平成31年
平成最後の日にお腹を痛めて寝込んでいるという切なさ。
私は生まれてまだ物心つかない頃に20世紀が終ったので世紀が変わるのはたぶん見れないです。
が、平成がこの早さで終わるとは思わなかったので令和もそんな長くは続かないのでは!と予想して老衰で人生が終わるならば令和が終わるのも見れる気がしています。
平成31年中21年を間私は生きているのですが身近な家電製品の進化が目まぐるしかったのが印象的です。
それによって生活がかなり変わったな、と感じますしネット、スマホ、Twitterなどはとくに生活に大きな影響をもたらされたなぁと感じます。
変わっていくこと、進化していくことには必ずいい事と悪いことがあると思っています。
例えば車はとても便利ですが車という存在がなければ亡くならずに済んだ方もたくさんいます。(ルールを守らない一部のドライバーせいですが)
令和はこんな私の考えを覆してくれるような時代になったらいいなと思います。
まずは色々な災害で被災した地域が少しでも早く元通りになることを願います。
おなかいたい。
おなかがいたい。
ここ数日ずっとお腹の調子が悪かったのですが今日がピークのようです。痛い。本当に痛い。
しかし今日お腹が痛い原因としてもう一つ疑っているものがありましてそれが昨日食べた餃子なのです。ちょっと変な味するなぁ…餃子ってこんな味だったけなぁ…なんて思いながら食べきったのですが今日お腹痛くなって昨日の餃子なのでは…?という気持ちがふつふつと湧いております。
昔に父と外食した際に父が餃子に当たったらしくお腹を壊して1日寝たきりになったことがあるので外食で餃子はもともといいイメージがなかったです。
でも父がお腹壊したお店とは違うお店でしたし、餃子を食べるの久しぶりだったのであまり気にせず完食しました。(これを書きながらもお腹が、ギュルギュル言っております)
とりあえず今日は寝たきりになりそうなので久しぶりにブログを更新してみました。
「ブログ更新しませんか〜?」とはてなブログさんからのメールも来ていたので。
平成も最後の日ですねーまた長くなりそうなのでとりあえず一旦ここまで
悪いことは重なるな、
悪いことに限って重なりますよね。
嬉しいことが重なることもあるけれど、でも悪いことの方が記憶に残ります。それが今です。
そんなこんなで久しぶりに絵を書いてみました。シャーペンで。好きな曲のとあるシーンだったり、登場人物の想像図とか。
最後のやつは中3の時に描いたやつです。
下手になりました。
とりあえず鉛筆がほしい。
シャーペンじゃ陰影つけづらい…。
ボールペン1本で絵を書きあげる人とか本当に尊敬してます。
私もなにかできる人になりたい。
なにもできないし、むしろ迷惑かけてばかり。
いつまでたっても私ができることは見つけられない。
夢の国の海の方で一番好きなキャラに会えた。戯れることはできなかったけれど。
早く寝たいな。
きのう さん 「つぎのひ」
次の日、私の地域は被害が少なかったからか私の学校では通常通り授業がありました。授業中にも余震が起きました。近くのほかの学校は休みの所もあったのになんでうちの学校は休校にしなかったのか未だに疑問です。
そんな学校の帰り道、明らかな体調不良で熱っぽく、だるく、頭が痛くなりました。
こりゃインフルだな、家ついて言ったら怒られるだろうな、めんどくさいなぁ…と思いながら帰宅しました。
家に着いて
「私、熱があると思う、インフルだと思う。」
「はぁ?ふざけんなよ、よりによってもこんな時にかよ」
「…ごめんなさい」
元々インフルは学校で流行っていましたし、感染したのは3.11より前で発症したのが3.12だったんだろうですけど私だって好きでインフルなった訳でもないのに…理不尽…。
激混みの病院へ行って無事インフルの陽性で家の中で隔離が始まりました。
インフルも薬が効いてくるとかなりマシになって数日後にはむしろ暇になり始めました。隔離も解けてやっとテレビで現状を知りました。
死者数、行方不明者数。大きな数字すぎて全く想像ができませんでした。
その後も毎朝届く新聞で毎朝増える死者数と行方不明者数。毎日毎日が灰色に感じました。
そして途中から行方不明者数が減り、死者数が増えていきました。
私は生きているけどなぜこんなにもたくさんの人は死んでいくのだろう。私なんかよりも必要とされている人、愛されている人が亡くなっているのになんで私は生きているんだろう。
今でも誰かが亡くなってしまったニュースなんかを見ると思います。
生きたいと願う人がたくさんいる世界で私は生きたいとそんなに思っていないのになぜ私でなく他の人ばかりが亡くなっていくのか。
それとも私も死ねばいい人だったと誰かが思ってくれるのだろうか、など考えていましたし今でも考えます。
もう8年だそうですが全く実感がありません。
特に福島原発。私は頭が悪いので今どれくらい作業が進んでいるのか全く分かりませんがでもほとんど変わっていないなと感じます。
何十年とかかってしまうのだろうと思います。
生きたいと願う人が生きれる世界であることを私は願います。
きのう に
当時住んでいた家に保護者がいるかどうか分からなかったのでほとんどの子達が集団下校する中私は職員室の前で知らない何人かの子達と待たされていました。職員室から漏れ聞こえるテレビの音がさらに非現実的で私自身パニックも起こしていたと思います。何かのきっかけでテレビの画面を見ることができた時に私が初めて知った情報が
・震源地は東北の海らへん
・マグネチュードの大きさ
この情報から両親の住む家に津波警報がでている、しかし大きな津波ではなさそうだという安心、とんでもない大きな災害が起きたという事実とテレビから伝わる緊張感からか地震を感じてから初めて涙を流しました。
そして家に着いてテレビをつけるとはじまったのは津波、崩れた家などの映像でした。今まで教科書やテレビ番組の中で画質が悪い映像でしか見た事がなかった光景が目の前のテレビで画質も綺麗な映像で流れていました。
余震も何度も起き揺れが起こる度に胸が張り裂けそうな痛みを感じました。
その日の夜ごはんはおにぎりでした。
次は次の日の話をします。
きのう
きのうは2019年3月11日でした。
少し前にもツイッターで触れましたが私が物心着いてからの災害として東日本大震災が1番衝撃や記憶にのこっています。
教科書やテレビで見ていた阪神・淡路大震災をはじめとしたいくつもの災害が今までの日本、世界であることは知っていました。知っていましたがやはり体験しないと分からない苦しみってあるんだと改めて思ったのが東日本大震災でした。当時私が住んでいた場所は震源地からは遠かったものの震度5強を観測しました。なので私は被災者ではありませんが私は私なりに苦しかった記憶を思い出したりしたのでブログを書こうと思いました。
2011年3月11日
学校の帰りのホームルーム中でした。いつも通り先生の話なんて聞かないでみんな好きなようにおしゃべりしていましたが一部の女子が静かになり「揺れてない?」なんて声が聞こえた気がします。そこから5秒もたたないうちに大きな揺れが来ました。一斉にみんな机の下に入りました。逆に楽しくなっちゃったのか遊んでる男子もいましたが。学校は改装(?)工事、丈夫にしたばっかりだったので全く被害はありませんでした。すすり泣く女子が何人かいました。
一旦地震が収まって生徒全員が校庭に集まりました。その後も余震が何度も起こりました。
当時私の両親は沿岸部に住んでいたので津波大丈夫かと心配ばかりしていたのとあんだけ揺れたんだから震源地は東京か神奈川だと思っていました。
当時私が住んでいた地域では古いブロック塀が倒れるなどの被害はありましたが大きなけが人は出なかったようでした。
長いので続きは次書きます。
丸山永司さんの初ワンマンライブ その2
まずは休憩の模様を
1枚目は天使が持ってきたぬいぐるみで遊ぶお二人。本当に天使はかわいい。是非丸山さんの路上ライブに来てほしいです。もうなにもかもどうでもよくなりますし、癒されすぎてもう心の底から今死んでも後悔はしないやと思えるくらい幸せな時間を過ごすことができます。
2枚目は天使とツーショットして遊んでたら天使が「えいじさんもー」っことでスリーショットです。嬉しくて今ロック画面に設定してます。
おてての大きさの違いを撮ることができた箇所がありました。そしてつやつやしている丸山さんの爪もおもしろい。
さてさて2部が始まりました。
既に冒頭で爆笑が起こりました。なぜかというと丸山さんがBGMをブツっ!と切ったからです笑「雑!」「フェードアウトとかさせるんじゃないんかい!」とつっこまれ「あれなんか間違えました…?」となりBGMをもう1回ゆっくり消している最中です。表情が最高ですね笑
そしてそして丸山さんでは珍しくカバーを2曲披露してくださいました。2曲目は会場も大盛り上がりした星野源さんの「恋」です。
天使を始め、踊れる方はみんなで踊りました。
大勢の前でも堂々と踊っていた天使。すごい。
そしてとある曲でサポートメンバーとしてYajiさんが登場。お客さんみんなも手拍子や卵形のマラカスで盛り上がりました〜。
丸山さんもYajiさんもめっちゃ楽しそう。笑顔が素敵すぎる。
そんなこんなでアンコール、そしてダブルアンコールも起きました。
ダブルアンコールの楽曲は初めて聞く曲でいろんな意味でびっくりでした。今回も動画を取らせて頂いたのでじっくり聴こうと思います。
とにかくお疲れ様でした。
今日はゆっくり休めているといいな。